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橋本徹大阪市長の波乱の生い立ち ~弁護士になるまで~ [橋本徹]

橋本徹大阪市長1969年6月29日生まれ(43歳)の弁護士になるまでの波乱に満ちた生い立ちについて、僕自身の感想を添えながら書いてみたいと思います。

橋本さんは、東京都渋谷で生まれ、アパートで幼少期を過ごしたといいます。

物心ついた頃には両親が離婚しており、母子家庭の長男として、四つ下の妹を含めた三人家族で育ちました。

なんか、両親が離婚と聞くと、僕自身が離婚していて、現在は元妻が働きながら子供のめんどうをみているのですが。

子供の気持ちを察すると、なんというか、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

当の子供自身も淋しいものがあると思います。

さらに、橋下さんが小学2年生の時、別れて暮らしていた暴力団組員の父親がガス自殺しています。

橋本さん自身は、このことを知ったのは成人してからだと言っています。

さすがに子供の時にこのことを教えるわけがないでしょう。

週刊誌等で「橋本徹大阪市長の父親は暴力団組員である」という報道はここからきています。

もう30年以上も前に亡くなっている父親を今更持ちださなくてもいいような気がしますが。

それからは、母親が苦労して家計を支えて、小学5年の頃大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区に移り住みました。

府営住宅から地元の公立学校に通っていたそうです。

その後、大阪市立中島中学校、大阪府立北野高等学校を卒業。

中学・高校時代はラグビー部に所属し、高校3年の時の全国大会に行き、ベスト16に入り、後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場しています。

橋本さんを見た感じはそんなに体育会系には見えないんだけどなあ。

初めて橋本さんを見たのが「行列のできる法律相談所」という番組で、弁護士として見たからかもしれませんが。

ただTV等での発言をみると、回りくどい言い方をせず、また、後先を考えず、ズバッと言う面などは、体育会系の片鱗なのかなあ、とも思いますが。

高校在学中には、日本テレビの『全国高等学校クイズ選手権』にも出場してます。

地方予選で敗退してますが。

なんか何にでも興味があったのでしょうか。

なんでもやってみるというタイプなのかな。

現役時代には早稲田大学を2学部受験して失敗し、一年間の浪人生活を経て、晴れて早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。

ラグビー部を見に行って、本人曰く、『脳まで筋肉でできている人ばっかりに見えた』そうで、結局ラグビー部には入りませんでした。

そしてなんと、高校の同級生の女性と同棲を始めたのです。

この女性こそ今の橋本さんの7人の子供を作った奥さんですが。

当時は東京の六畳一間、風呂無し、トイレ共同のアパートでの生活だったそうです。

またやることが早いというか、そういう状態でよく勉強できたなあ、と思うのですが。

僕だったら、生活を維持するためにさっさと大学を辞めて働いていたんじゃないかなあ。

でも、生計を立てるためだと思いますが、橋本さんは学生でありながら革ジャンの卸売などアパレル事業を始めたそうです。

まあ、その時に不渡り手形をつかまされた経験で法律を勉強したことが弁護士を目指すきっかけになったそうですが。

何が功を奏するか分からないものです。

1994年(平成6年)春に早稲田大学を卒業して、一発で司法試験に合格した。

やはり頭は良かったんでしょうねえ。

なかなか司法試験を一回で合格するのは東大に入っている人でも難しいと思うのですが。

2年間の司法修習を経て、1997年(平成9年)に大阪弁護士会に弁護士登録。

大阪市内にある樺島法律事務所に10ヵ月在籍しました。

そして、弁護士2年目の1998年(平成10年)、大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立したのでした。

弁護士になるまでの生い立ちをざっと書いてみましたが、行動力があるし、またそれにともなう頭脳も持ち合わせているんでしょうね。

しかし、波乱にとんだ人生を歩んできたみたいで、現在もそうであるように見えますが。

機会があったら、橋本さんの数々の物議をかもしだした発言に関しても書いてみたいと思っています。

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